鳥栖民話1 |  鳥栖民話2  | 鳥栖の方言


鳥栖民話1
鳥栖の名の起こり
応神天皇(西暦二七○ 年)のころ鳥屋がおって、いろいろの鳥を飼いならして天皇に献上したげな。
そいで、鳥屋の郷といったのが、のち、鳥模の郷、そしていまの鳥栖になったげな。

   
   小僧の改名

むかしあるお寺に和尚さんと二人の小僧がおったげな。和尚さんは、法事でみやげをもらって帰っても、自分だけでこっそりたべていた。二人の小僧は相談の上、名前を変えることにした。
一人は「まだやけん」もう一人は「もうやけた」と付けた。
小僧たちは和尚さんにいった。
「私の名前は『 まだやけん』 にしました」   私の名前は 『 もうやけた』 にしました」

その晩、和尚さんは、小僧たちが寝てしまったと思って、こっそりモチを焼きはじめた。和尚さんは、「まだ焼けん」と、ひとりごとをいった。すると、『 まだやけん』 という名の小僧が、「はーい」と起きて、モチをたペることができたo
しばらくすると、和尚さんは、「もう焼けた」といった。すると、『 もうやけた』 という名の小僧が、「はーい」と起きてきて、モチをたべることができた。 それから和尚さんは、小僧たちと仲良くなった。



   
   おしゃかさんと動物たち

おしやかさんが、「うまかもんばやるけ、みんなけー」と、おふれば出しなさった。スズメがまっ先にきたので、おしゃかさんま’「おまや一ばん早かったけお初穂ばくうてよかJ といわっしやった。
ペにかねツバメは紅つけ金つけ(おはぐろー 歯を黒く染めること)してこしらえてきた。おしやかさんは、「おまやおそかったけ虫どんくうとけ」
といいなさった。次にきたくちなわ(蛇)が、「あたしゃ何ばたべたらよかろか」ときいた。すると横から力エルが出てきて、
「おまやおいが尻どんくうとれ」といった。そいから、スズメは米をたべ、ツバメは虫をたペ、蛇はカエルを尻からのむようになったげな。



   
   キツネをだました茂平

永吉の墓地に住む女狐は人をだますのが上手で、村人たちはほとほと困っていた。
茂平は、人がけものにだまされるのがくやしくてたまらない。一度はこの女狐をだましてみたいと考えた。ある日、茂平はあげどうふをみやげに女狐をたずね、
「あたいは何ちゅうてもお金が一番えずか」2 すを、J 、えすかノ、
といった。何日かして茂平が墓地を通ると、女狐が木の葉で化かしたお金をばらまいていた。
茂平は、「木の葉のお金じゃえずなかばい」といってすぐ帰った。
次の日、茂平が行ったときは女狐は本物のお金を道にばらまいていた。茂平はこのときとばかり、「あーえすか、あーえすか。もうえすーしてこたえん」と、お金を残らずひろってさっさと帰ってしまったo
お金がいちばんこわいといった茂平が、お金を拾ったので、女狐はそれから人をだまさないようになったげな。



   
   たぬきの雨乞い

ひでりの年、枯れかかった田んぼをながめていた庄屋と狸。「庄屋どん。雨ば降らせてやろ、つか」「お前がや?」雨が降ったら庄屋の娘を狸の嫁にやる約東ができた。狸がいったとおり雨が降り、田んぼは青々 と生き返った。「村中が助かることなら嫁にいかじ
やこて」娘は庄屋にもらった水がめを狸に背負わせた。川面に月が浮かんでいた。
「あのお月さんの美しかこつ」狸は月をとってやろうとザブザプ
川に入った。だが背中のカメには水がゴボゴボ、狸はとうとうおぼれてしまった。
娘は狸を手厚く葬った。「狸は雨の神さんじゃけ、ひでりのときは狸踊りばせじゃこて」
   ひでりの年には村人たちが川の中で雨ごいすると不思議と雨が降ったげな。



   
   力くらべ


大昔、木の山(基山)にいた木の神が一敵郎鰍に遊びに行ったとき、高良の神に、「あなたは力持ちだというが、人の体くらいの石を木の山まで投げることができるか」ときいた。一局良の神はすかさず、人の大きさほどの石を木の山めがけて投げた。やがて木の山から使いがきて石が落ちたと知らせた。
木の神は、「木の山へ帰ったらお返しに今の十倍くらいの石を高良山に投げよう」と約束した。
そーれと木の神が投げた大石は物すごい勢いで高良の宮に落ち、社は押しつぶされてしまった。そこで木の神は気の毒に思い、その大石の上に新しい社を建てた。今でも高良の宮の就の下にはその石があるという。高良の神が投げた石というのが、今の荒穂神社(基山町)にまつってあり、高良の神が握ったという指跡が残っている。



   
   八右衛門の分別

大谷八右が際という猟師が鉄砲をかついで山へいった。山道にさしかかったときミミズがひょろひよろと出てきた。すぐあとから蛙がとぴ出して、ミミズをばくっとたべてしまった。つぎに蛇があらわれて蛙を頭からのみこんだ。こんどは猪がきて
その蛇をたべてしまった。
八右衛門は猪をみてしめたとばかり弾をこめた。猪にねらいを定めながら彼は考えた。蛙がミミズをたべた。  その蛙を蛇がのんだ。
その蛇を猪がたその猪を俺が撃そして・・・… … メ
八右衛門は妙な気がしてきた。ここで猪をしとめたら、今度は自分が何かにねらわれる番になる、と思うと身ぶるいがした。八右衛門は猟師をそれっきりやめた。


   
   ガマの見物

久留米のガマが博多の町を見ろうきざんと、基山に登った。
博多のガマも久留米を見ろうと基山に登り、二匹が頂上で立ち上っていうことにや、
「久留米も博多もいっちよん(すこしも)変らん」
(立ち上ったガマの目玉はうしろを向いているから)


   
    丑どんの足跡


雲を突くような大男の丑どんが、にないメゴ(竹製のカゴ)に山を入れ、天びん棒でかついで歩いていたら、棒が折れて山を落としてしまっか1 その一つが朝日山で、もう一つが甘木市西方の花立山(地図上は城山)だという。
a 百後矛しお午11 この一一つの山は、形がソックリで、山の高さまでが、朝日山一一ニ一一・九メートル、花立山一一ニ○ ・六メートルとあまり違わない。山をかついだ丑どんの足跡は、方が八坂神社西側にあった沼で、
も片う一方は、秋葉町の元みやき酒場の南側にあった沼といわれ、形が良く似ていたらしい
沼は、昭和の始めごろまであって、子どもたちの魚とり場にもなってい
たが、その後、両方共埋めたてられて今はない。



   
   契山


大昔、木の山(基山)の現々 杵尊から農業を教わった村人嘆そのお礼にと木花咲耶姫というきれいな人をお后にすすめた。尊は喜び、木の
山と/\ +谷/\ .山の間の山町鳳で契の式をあげた。木の尊(度々 杵尊)を記
る基山の荒穂神社は、この契山の東谷にあり、西谷の古屋敷にある木花
神社にはお后が肥ってある。
注契山は、基山の西方の山、その麓の古屋敷に木花神社がある。


   
   そばの根はなぜ赤い

男が道に迷い、暗くなったので一
軒屋に泊めてもらうことになった。おばあさんから夕飯をごちそうになると、男はぐっすり眠ってしまった。真夜中、物音で目をさますと、鬼ババが、「久しぶりの獲物じゃ」と、包丁をといでいる。驚いた男は一目散に逃げた。鬼ババにつかまりそうになり、男は大木によじ登った。鬼ババも包丁をがざしながら登ってくる。
てっペんで逃げ場を失った男は、「神様、どうぞクサリをおろしてください」すると天からクサリがおりてきた。男はそれにとぴ移って登りはじめた。鬼ババもまねして、「神様、クサリをおろしてください」と頼んだ。鬼ババはおりてきたクサレ縄につかまって登ろうとしたが、縄が切れてソバ畑の石で頭を打って死んだ。ソバの根が赤いのはその血がしみこんだからという。


   鎮西山の為朝

剛弓でならした鎮西八郎為朝が鎮西城(上峰町)で酒宴しているとき、家来が大将の弓が見たいと望んだので、為朝はヨシとばかり、筑後川のほとりを行く老人のカゴを狙って、八人張りの剛弓をヒョウと射た。
矢は見事カゴに命中したが、老人はその矢を抜いて投げ返すと、鎮西城の門柱にグサッと刺さった。命中
したところを屋(矢)形原というようになった。


   
   千栗の名の起こり

神亀元年(七三四)養父郡司、壬生春成が、三根山中で狩りをしていると、一羽の鳩が弓の先にとまった。その夜、春成は、老人が盆に千粒の栗を盛っている夢をみた。翌日、山に登ると千本の栗の木が生えていた。
春成は、その鳩がとまったときの場所に社を建て、神をまつることにした。
れがム7 の千栗八幡神社の始まりとい う。
同様の伝説は、養父町の八播神社にもある。


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